戦う男は美しい!~美は女性だけのものならず~

2014.07.21 Cat: Tag:,

Lionel Andrés Messi Cuccittini

今年のサッカーワールドカップブラジル大会が終わってまだ余韻冷めやらず・・・・の心境ですが、皆さんにとってはどんな大会でしたか?!

時差もあり、眠い目をこすりながら見た私にとっての大会は・・・・国の威信をかけて戦う男たちの雄姿や、思わず声を上げて感嘆してしまう華麗なパス技やシュート、息もつかせぬ展開など、明け方目にしたドラマが潜在意識に何かをインプットしてきて、うつろな眠気とともにどこか清々しさを感じながら一日を始める、そんな感覚で毎朝出勤する日々でした。

私は普段特にサッカーファンというわけではないのですが、ワールドカップはやっぱり面白い!と感じるのは、国の期待を一身に背負った男たちの戦いぶりが見られるからにほかなりません。

日本の結果は残念でしたが、世界レベルのサッカー競技が連日見られることには、自国の結果以上の楽しみがありました。

さて、今回私が特にワールドカップに夢中になってしまった理由。
それは、さすが世界最高レベルのサッカーだけあって、「もっと見ていたい」と思うシーンがたくさん見られたから。

激しいフィジカルコンタクトが特徴でもあるサッカーで、たとえ負けていても制限時間ギリギリまでゴールに向かって攻め続ける姿、相手の攻めを食い止めるだけでなくボールを奪ってカウンターを狙う姿勢、連日の試合の中でも走り続け、疲れや休みたい気持ちに負けまいと自分自身を鼓舞する姿。

ときには突き飛ばしたり、噛みついたり(!)の激しいせめぎ合いもある中で、体を張って闘う選手たちに私はすっかりに魅せられてしまいました。

負けた試合後の男泣き。
ゴールを決めたとき、逆転したときにはまさに全身で喜びを表現する少年のような表情。

サッカーという競技をとおして、完全に魅入ってしまっていました。
その男らしさに。女にはできない技の数々に(女子サッカーを否定しているわけではありません!)。
そして、戦う男の色気に。

様々なタイプの女性がいるように、男性にもいろいろなタイプがいます。
最近の若い世代から登場してきた「草食系男子」というタイプもなかなか一緒にいて楽しそうだとも思います。

「男らしさ」や「女らしさ」の定義は時代が変われば変化するでしょうし、いわゆるステレオタイプの考えには縛られる必要はないのだというのが私も同意する意見です。

しかーし!今回ワールドカップに夢中になるなかで感じたこと。
素直に、戦う男は美しい。

完全に勝手なひとりの女性目線で言うならば、恐らく自分が逆立ちしてもできないことを、男女差という肉体面・精神面の違いであっさりやって見せられたとき、「男」を感じてしまうと同時に、相手に対する尊敬や尊重の気持ちが自然に生まれるような気がします。

女性が強くなった、と言われて久しい昨今ですが、社会で活躍する女性や、家事・育児以外の事柄でしっかりと自分の意見を持ち、男性と対等に意見を交わせる女性が世の中に増えていることは、個人的にとっても嬉しく心強く思います。

私自身もどちらかというと活発で勝気、家でおとなしくしているタイプではないので、ステレオタイプの女性像に自分をあてはめようとするのは若い頃から苦痛に近かったです。

だから、女性が強くなって男性が弱くなっている、という説を聞くたびに、なんとなく自分のような女性がいることが男性が弱体化している原因と言われているような気がして、ちょっとした居心地の悪さを感じることもあります。

でも・・・女性がどんなに強くなっても、やはり男性にはかなわないことって結構、いえたくさんあったりしますね。

私が思う「かなわない」領域のひとつに、戦うということがあります。

戦うと言っても、かつて過去に悲惨な結果を生み出した戦争のようなものは絶対に二度と起こしてはいけないですし、日常のなかでも、喧嘩や争いごとから負の作用が起こることはよくあるので、それも必要ありません。

ただ、だからといって、まったく戦わない世界って、本当に平和なのかな?!とも思ったりします。
なぜなら、戦うことで勝ち取ること、良くなること、大きく前に進むことって、実はたくさんあるような気がするからです。

たとえば、社会に横行する様々な不正。いじめ問題。弱肉強食のような格差社会に蔓延する不公平な現実主義。
人種・年齢・性への差別。貧困。テロ。

現代の戦う相手というのは、過去の歴史の中でもより複雑で、いわば「見えない相手」といえるものばかりかもしれません。
だから戦い方も戦術も、なかなかサッカーのようには行かないのが現実でしょう。

でも、だからこそ簡単に現状に屈したりあきらめたりせずに、戦い続ける勇気、根気、そして決して緩めない攻めの手というのは失ってはならない問題がたくさんあるのではないでしょうか。

知性を駆使して闘うだけならば、そこに男女差はないはずです。また、戦わずして勝つという、ヨガの教えにもある平和主義的な戦い方ももちろんあるでしょう。

しかし、必ずしも力で訴えるものでなくとも、強い信念と正義感によって相手に挑む必要がある場面というのは常に存在し、そこで勇気をもって起こした行動が、いつの時代も現状を変化させるきっかけになるのではないでしょうか。

そして、そのような戦いの場は、現状分析や打開策を見つけるよりも感情が先に立ち、本能的に協調や同調、横並びを好む女性にとって得意とする分野ではないのかもしれません。

戦う場面では、男性に前に出てほしい。

今回私はそんなふうに思いながら、サッカーの試合を見ていました。
男性には戦う本能と同時に「正当な戦い方」なるものを理解する能力が備わっているようにも思えるシーンがたくさんありました。

相手を容赦なく攻める攻撃力を見せたあとで、試合後には互いをたたえ合って握手を交わす姿。
負けて涙する相手チームの若い選手の肩を抱いて慰める場面・・・・などなど。正直、女性でこのように振る舞える人って日常では少ないと思ったりします(もちろん、スポーツの場面に登場するアスリートは別です)。

戦う男は美しい。
その美しさは女性のそれとは対極のものではあるけれど、女性ではなかなか表現できない美がそこにあります。

スポーツ以外であからさまに戦うことを必要とすることが少なくなった現代においても、戦うべきときは前に出て戦う男を目にしたとき、女性は一歩引いてその戦いぶりを眺め、美しさを賞賛する役に徹するのかもしれませんね。

女性に本来の女性らしさを求めるならば、男性がまず本来の男らしさを示してほしい、というのは女性視点の勝手な言い分でしょうか?!

だって、その逆だともはやうまく行かないくらい、女性たちは自立して強くなってしまったのですから・・・・・。
そして、それは教育制度や社会制度が整ったことによる、良い産物のひとつなのだから。

強い女性たちを本来の女性としての本能に目覚めさせるのは、やはり、それ以上に強くたくましい、「戦う男」の存在なのではないかと思いますが、いかがでしょう?!

戦う男、素敵です。

 

 

 




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