不完全だからこそパーフェクト!な価値観~イタリア便り(2)~

2014.11.30 Cat: Tag:

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こんにちは!
今年も終わりに近づき、こちらベネチアも朝晩はめっきり冷え込む気温となりました・・・晴れている日の日中は結構ポカポカに感じするので、上着も昼と夜で違うものを着る人も多いです。私もついに日本から持参した厚手の上着を着用し始めました。

さて、イタリアにいて気づくことのひとつに、「情報の不確かさ」というのがあります。これは、イタリアに関するガイドブックやサイトなど、様々な方がすでに言っていることなので一般的に知られていることなのでしょうが、特に日本人からしたらはじめは驚くことの一つなのだと思います。

地元の人に道を聞くとほとんど全員違うことを言ったりしますし(笑)、天気予報などの公的機関が出す情報まで「言っていたこと、書いてあったことと違う!!!」というケースがたくさんあります。あ、天気予報はイタリアに限らずあくまでも「予報」なので、100%正確ということはありえないのでしょうが・・・・とにかく情報の不確かさという意味では日本に比べるとかなり度合いが違います。

日本では、電車の時刻から催し物のスケジュール、職場や人間関係のなかで生じる「予定」を語る必要があるときなどに、未来のことまで限りなく予測して、できるだけ正確に伝えようとするのが文化のように思います。そして、日本ではこのような個人的なこととはあまり関係のないことでも、間違ったことを言ってしまうと信頼関係そのものに影響したり、「しっかり調べてからモノを言え!」と、その人の人間性が疑われてしまうようなこともある気がします。

いっぽうイタリアは、この点では真逆の文化だと言えます。
個人的なことではない公共機関から発信する情報ならなおのこと、個人的な発言においても、それが過去に起こった紛れもない事実ではない限り、不確かであって当然で責任をもつ必要はない、というのを皆が暗黙に理解しているかのようです。

そう、未来は誰も予測できないし、たとえ予定であっても、あくまで「予定」。100%決まっていることではないというのがこちらの認識のようです。

私の住んでいる学生寮では週に1度部屋の掃除が入るのですが、この掃除のタイミングが週によって金曜日だったり土曜日だったりして予測がつきません。一応予定表があり、そのときの状況によって変更があるみたいなのですが、とくに知らせなどはないので朝から学校に行っている平日なら問題ないのですが、土曜日はちょっと部屋を空けているすきにいきなり掃除の係のお姉さんたちが入っていて部屋に入れなったことがあります。しかも、ドアを半開きにしたまま、近くの部屋の友人と話している最中に!

「2分で終わるから!」というのはもちろんウソで(掃除を2分で終わらされても困りますが・・・)、結局廊下で10分ほど待つハメに・・・・。

また別のときには「部屋の掃除何時くらい?」と聞くと、「午後」という回答。しかしその後20分ほどでノックされ・・・・・。この時も廊下で待つことになったのでした。

ベネチアの水上バス「バポレット」についても、かなりわかりづらいしくみがあって旅行者はどのチケットタイプを購入するかの判断に迷うのですが・・・・。この、決して安くはない旅行者用に設定された価格のチケット、購入してもほとんどチェックされたことがなく、半ば油断して乗っていると、あるとき突然抜き打ちの乗車券チェックが。しかも、このときたまたまチケットを入口のマシーンに通して「有効」にしていなかった友人2人に対し、1人には2.5ユーロのチケット代を払えという指示(この金額自体、謎)で、もう1人にはなんと50ユーロのペナルティプラス7ユーロの正規のチケット代を要求。

ちなみにこの2人、乗車していた水上バスは同じものだったのですが、乗っていた場所が異なっていたため友人とは判断されなかった模様。あとから互いの話を比較して、あまりの違いにその場にいた全員が「?????」と首をかしげて最後は笑うしかありませんでした・・・・。

こんなふうに、イタリアの情報は、あくまで情報であって信用できる度合いはかなり低いですし、また、信じ込んでいると突然とんでもない事態に遭遇して頭がパニックになることもあります。つまり、現実にはその場で対応した個人の判断や対応によって様々なバリエーションが存在するのが前提とも言えます。

ただ感じるのは、はじめに入手した情報が間違っていようと、現実に起きた結果が問題ないならPerfetto!!!という価値観。情報が間違っていた、責任を取れ、などという人はあまりいない気がするのですが、これはあきらめからなのか、情報に対する認識が違うからなのかはわかりません。ただ、私自身も情報とは別に現実で少しでも得したり、思わぬ発見があったならOK!!なんて思い始めていたりします。

私は先日、3か月以上滞在する人には必要な滞在許可証の手続きで面接に行ってきました。その際、学校から渡された移民局への行き方が書かれた紙をもって行ったのですが・・・・。ベネチアの市内から出るためのバスに乗り、指定のバス停で降りてトラムに乗り換え・・・そこまでは問題なくクリア。

しかーし!

このトラムでどの駅で降りるのかが、何度読み返しても書かれていな~い!方向だけ書いてあるのみ。なんだかよくわからないけれどとりあえず方向はあっていそうなのでトラムに乗り、適当に降りて人に聞くことに。降りた場所がなぜか紙に書かれた指定の通りの真ん前で、ラッキー!!なんて思いながらも、最後まで紙に書かれた内容でどうやってたどり着くのかは不明のままでした・・・・。

つまり、情報の精度としては60%くらいということです。
あとの40%は自分でなんとかしたということで、なんともいえない不思議な自信を自分の中に感じたのでした・・・・。

日本では情報の正確さと、また人々の真面目さ・綿密さのレベルが高く、すべてのことが整然と、決められた内容で動いていて、その意味では信頼度の高い社会なんだとこちらにきてつくづく思います。

ただ、どちらがいいか、悪いか、というのは簡単には判断できない部分もあるのかもしれません。

なぜなら、人も、また人によって構成されている社会も、国も、最終的にどこまで信頼すべきかは個々人の判断次第だと思うからです。100%に近い精度の情報を日頃から供給することが前提の日本でも、3.11の地震の際に発生した原発事故という不測の事態に対し、政府の対応は誠実さとはかけ離れたものだったと私には思えてなりません。

「誠実であること」が「正確であること・完璧であること」とイコールであるという価値観には、私は以前から違和感を感じていました。

事前に予測・予定されていたことに照らし合わせ、限りなくそれに近づけて行動していくことだけを良しとする価値観で生きていると、予測できなかった事態が発生したときに行動する判断力が鍛えられないだけでなく、人間としての大切な感覚、非常事態や重要な場面にさしかかったときに何を最も優先すべきか、という、場合によってはルールや指示に反してでも行動するための判断基準がもてなくなってしまうと思うのです。

夕暮れ時のバール前でアペリティーボを楽しむ人たち。人気店はいつも地元客でいっぱい!

夕暮れ時のバール前でアペリティーボを楽しむ人たち。人気店はいつも地元客でいっぱい!

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あらかじめ掲げている約束事を完璧に守ることに注力するあまり、それ以外のことには一切考慮することができず、変更の余地もないのが果たして誠実でしょうか?人間関係についても、一度口にしたことを守る、伝える情報を正確なものに限りなく近づける、受けた親切には同じようにこたえるなど・・・・日本の中では良しとされる常識に則ってカンペキにいい人を演じるだけで、本当に誠実な行為であると判断できるでしょうか?

完璧なものに近づこうとすればするほど、その他の部分での柔軟性が失われ、人で言えば「演じている」ような感じになってしまう感覚を私は日本でよく経験していました。

不完全であることが前提で、社会や国が不確かで混沌としていながらも、現実に起こる出来事そのものにPerfetto!!!を見出すイタリア。そして「誠実であること」を決められた規範に忠実であることではなく、まったく別のところ、それはたとえば心からの思いを込めて交わす一瞬の挨拶だったり、相手の事情をわかった上で今自分にできることを精一杯提供してあげることだったり(たとえそれが仕事の上でも、交渉次第ではじめとまったく違う結果になる可能性大)・・・・目の前に起こる出来事に自分の信念と思いに正直に対応していくことだとしたら・・・・このあたり、私はまだ観察が必要ですが、そんなイタリアもなかなかどうして魅力的だな、と思うのです。

先日バポレットに乗る際に、急に係員の人に腕を掴まれました。ぎょっとして振り向くと、船が一瞬揺れたからだったようですが、とっても温かく信頼できるものを感じました。この係員の人たち、結構若い人が多いのですが、お年寄りが乗り降りする際には必ず手を取って支えます。この行為はマニュアルに書いてあるから、会社や上司からそのように指示されているから行っているものとは思えません。

完璧でない国や社会で、最後に信頼できるのってやっぱり人間らしい良心や情熱の赴くところなのかもしれません。

あ、いろんな人がいるのは当然なので、全員ではなく、信頼できる人を人生の中で見つけていくのが生きる楽しみでもある気がしています。最近できたお気に入りのバールやベーカリーのように。美味しいから、安いから、というのだけが理由ではなく、顔を覚えてくれて、私が欲しいものをわかってくれるから。

こちらでは巷で伝わる情報があまり信用できないので、自分の中の好きか・嫌いか、心地いいか・悪いか、などの判断基準をしっかりもってその時々で判断する必要があるというのをつねに感じます。そして何が正しい答えなのかは、人それぞれに異なるので、ここイタリアでは結局いつまでたっても万人向けの情報というのにはあまり重きを置かないということになるのかもしれないです。

「不完全であるからこそパーフェクト!」という価値観は、600年以上も前に「人間性の解放」という思想のもと、ルネッサンス文化がここで花開いた歴史をも思わせます。人間らしさ=不完全さをありのままに受け入れ、それを前提に世の中が動いているのを目の当たりにするのも、日本からやってきた私にとってはとっても興味深いです。

では今日はこのへんで!

ベネチアのデザート

ビスコットと呼ばれる濃厚なクッキーのようなベネチア特性のデザートは、ロゼや白ワインに浸して食べるのがこちらの食べ方。美味しい!

 




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