シニョーラ・パオラとの家族的生活~イタリア便り(6)~回想編

2015.12.22 Cat: Tag:, , , ,
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私が約半年過ごした部屋。

 

今年もあと(今日入れて)残すところ10日となりましたが、日本の皆さまはお忙しくされていることと思います!かく言う私も日本にいますので、1年で最も忙しいと言われる「日本の師走」をメディアや街の雰囲気から感じてはいますが・・・どこかひとごとのようにとらえている自分がいます(笑)。

去年の今頃はドイツ人の友人宅に滞在し、年末から年始にかけてはドイツ国内とオーストリアを旅していました。あちらでは年末年始よりも何よりも大切な行事がクリスマスなので、そのクリスマス前後をクリスマスマーケットやホットワインが有名なドイツで過ごせたこと、私を家族の一員として招き入れてくださり、毎日ただのんびりと、ワインとビールとシュトーレン(クリスマス前にドイツで食べるお菓子)、美味しい家庭料理にコンサートに・・・・と楽しませてくれた友人家族の顔が、昨日のことのように暖かな思い出と一緒に浮かんできます。今後も私の心はきっと、この時期になると彼らを思い出して温まることでしょう。それにしても1年はなんて早く過ぎ去るのでしょう!

年の暮れは忙しいのが日本の風習であり、またその後にすっきりと、新しい気持ちで文字通り「新年」を迎えるのがお正月ですが、今年はそんな日本を満喫しつつ、でも、周りにつられて気持ちを忙しなくしてバタバタする必要はないようにも感じている自分がいます。すべては自分の心次第ですから・・・・✰

さて、今日のブログテーマは、私がイタリアで最後の半年を共に過ごした私にとってはイタリアのマンマ、推定70代のPaolaさんとの生活について回想しながら少し書いてみようと思います。

Paolaさんは私と同い年(いくつだ!?)の娘さんがいて、その一人娘のお嬢さんもご結婚でお家を出られ、またご主人とは離婚されたことで、現在はおひとりでフィレンツェに暮らす女性です。生粋のフィオレンティーナ(フィレンツェ生まれ)で、彼女が暮らすアパートは、もともと彼女のご両親が若くから住んでいた建物だそうで、彼女自身もまさにこのアパートの中で、お産婆さんに取り上げられて誕生したとのこと。ご近所は一部の外国人を覗いてほとんどみな顔見知りでお友達で、彼らとは親子代々の古い、ふる~い、この辺りの界隈と家族の歴史を共有してもいます。

そんなPaolaさんのお家の間取りは、日本で言う、3DKでしょうか。玄関を開けるとすぐ左手が私が借りていた、もとは娘さんのお部屋。その隣にサロットと呼ばれるいわゆる応接間があり、中はPaolaさんのおばあさまやご両親から受け継いだ美しいイタリアとイギリスの家具でしつらえてあります。このサロットで私はよくジュエリー学校での課題をさせてもらいました。あとは、娘さんご家族や来客があるときに一緒にお食事もするお部屋。イタリアのお宅らしい重厚感のある家具に囲まれたこの部屋は、私のお気に入りでもありました。そして小さな収納庫を挟んでPaolaさんの寝室。大きなベッド、小さな椅子、テレビ、そして同じく美しいクローゼットが並べられています。玄関を中心にぐるっと周る感じでその隣には、大理石でできた洗面台が素敵な洗面所兼バスルーム。次の部屋、玄関からみて右側にはキッチンと食卓があります。

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サロットの美しいシャンデリア

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家具はすべてイタリアまたはイギリスの古いものばかり。

私が間借りしていたもとは娘さんのお部屋は、代々様々な国からの学生を入れて来たらしく、なかでもある時期からは日本人を好んで貸しているとのこと。理由は、静かで大人しく、部屋を清潔に使うから。私がその理由に叶っていたかはともかく、何人かの日本人女性と暮らしたことがある彼女は日本食や日本文化にもとても興味がある様子でした。

前の日本人女性が日本人掲示板で借り手を募集していたところへ、私がコンタクトしてとんとん拍子に話がきまったのがそもそもの始まりです。お料理好きなPaolaさんは、お部屋見学のときには夕飯を振る舞ってくださり、彼女の作る典型的なトスカーナ料理が、私を魅了したのもこのお部屋に決めた理由のひとつでした。

期待していたとおり、住み始めるとときどき夕飯をご馳走してくれ、一緒にワインとともにおしゃべりしながら食事をとることがたびたびありました。もともとお部屋代には食費は含まれていなかったので基本はお食事は別々なのですが、お料理が美味しくできたときや、トスカーナの郷土料理など、私に試してほしいときには必ず声をかけてくださりました。その代り、「あなたも日本料理を作ってくれたら嬉しいわ。私は日本のお料理がとっても好きなのよ。生のお魚とお寿司以外は!」ということで、私もときどきお返しに作れる範囲でお料理を作ったりしていました。肉じゃが、カレー、すきやき、照り焼きチキン、あとは日本料理というわけではないけれど、アジア料理ということで、エビチリやホイコーロなどの中華料理や、韓国風に味付けした野菜料理なども。覚えている限り、すべて「美味しい!」と言って食べてくれました。

私が引っ越してきたばかりの頃、実は歯に痛みがあってそれがじわじわと、耐えられないくらいの激痛になりかけていた頃で、イタリアで歯医者をどうやって探したらいいかもわからず、保険も適用されないことから不安もあり、痛みと闘いながら精神的にも弱り切っていました。加えて目も何かのアレルギーからか腫れて乾燥がひどくなっていて、そちらのほうも病院にいかなくては、と思っていた矢先のことでした。Paolaさんはすぐに車で近くの総合病院に連れて行ってくれて、歯も目も応急処置を施してもらい、目についてはそれで完全に腫れも乾燥も収まったので本当に助かりました。歯も、その後別の歯医者で最終的な治療をすることにはなったものの、最初にあった激痛を収めてくれたのがそこの歯医者さんでした。当時は恐らく海外生活での疲れがそのようなかたちで身体に出ていたと思われるので、Paolaさんに出会ったことでお医者さんに連れて行ってもらったことだけでなく、精神的にもとても救われた思いがしたのを覚えています。

Paolaさんはとっても世話焼きで親切で、カラダもふくよかな、そういう意味では典型的なイタリアのマンマという感じです。でも、定年退職されるまでずっと郵便局に勤められたことでも納得しましたが、凛としたお顔の表情や、いつもきれいにブロンドに染めてセットされた美しい髪の毛からも、かつてのキャリアウーマンな感じを思わせる雰囲気があります。手の爪も、足の爪も、いつだって綺麗に整えられ、マニュキュアやペディキュアが施されていて、お顔も素顔でいることはめったになかった記憶です。お化粧はマスカラまでバッチリ!キレイに塗られていました。週に1度は専属の美容師さんがお部屋に来られて、Paolaさんの髪の毛などなど、キレイにする時間が決まっていました。

そんな貫禄があって、優しいPaolaさんでしたが、一緒に住んでいた頃は彼女を理解して安心感を抱くようになるまでには少し時間がかかったのも事実です。というのは、イタリア人の彼女はとても女性的で、いい意味で「マンマ的」なので、恐らく日本人だったり、ドイツ人だったりしたら放っておくところがそうはできません。

「洗濯物の干し方はこうした方がいいのよ。直しておいたわ。」「ゆで卵を作るときはあらかじめ冷蔵庫から出しておいて、常温にならしてから調理した方が崩れないのよ。」「そんなにスイカばっかり食べてたらおトイレが近くなるわよ!」などのことがらから、「りえ、ちょっと棚の上のこれをとってくれないかしら?」「今日カーテンを夏物に変えたいの。夕飯終わったら手伝ってね。」「この説明書きが文字が小さくて読めないの。なんて書いてあるのか見てくれる?」などの頼みごとまで(それもだいたい、なぜか、私が昼寝をしてるときやでかける直前など、なぜ今??というタイミングで頼まれる・・・・)、いろいろちょっかいを出してくるのです。

この、言ってみれば典型的なイタリア女性らしい、人とのかかわり方は、慣れれば可愛らしくて、また、そうやってイタリア人はお互いを家族のようにかまい合い、甘えあい、信頼しあって生活しているということがわかってくるのですが、彼女と住み始めたころはまだイタリアに来て半年くらいの頃。ましてイタリア人と住むのは初めてという私でしたので、最初はまったく理解しておらず、正直だんだん鬱陶しく感じてきた時期があります。自分のイタリア生活がマンネリ化している頃とも重なったこともあり、ずいぶん失礼な態度で反応したり、そのうち「わかってます!」とか、「それは私の問題なので、放っておいてください」なんて言ってしまう自分もいたりしました。

そんな風に反応すると、彼女は少なからず傷ついたようでしたが、いつも「わかったわ。でもあなたのために言っただけよ。」といい、その後は同じことを言ったりしたりしなくなりました。私も日本人相手でしたらそのようにはっきりものを言うのは絶対にしないのですが(日本人同士では、言ってしまったその後の問題の方が大きくなるので・・・)、相手が欧米の方になると、「言わないと分かり合えない」式の考え方に完全シフトします。そしてたいてい、言ったことでより分かり合えるようになっていきます。

さて、そんなPaolaさんとの、親子のような、同居人のような、友人同士のような生活も、私の帰国が近づいたことで少し変化が起きてきました。お互いに結構言いたいことは言うような感じで、ときには険悪なムードになったときもあったのですが・・・。まず、私のほうでPaolaさんに対してとてつもない感謝の気持ちと情が湧いてきて、また、気づくとまるで母親に対するような反抗心みたいな気持ちも彼女に対してほのかに抱いてことにも気づき、認めたくない自分の中にある甘えや、反省の気持ちが押し寄せてきました。

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Paolaさんと。サロットにて。

ある日、そのことを、私のつたないイタリア語で伝えたところ、はからずも涙が出てきて、「失礼な態度をとってしまったときはごめんなさい。そしてありがとうございました。」と、少女のようにPaolaさんの手を握って泣いている自分がいました。そのときPaolaさんは、「いいのよ。もう過ぎたこと。そして、私も楽しかったわ。またいつでもイタリアに来たときは寄ってちょうだい。私でできることはこれからも、今までのようにしてあげるから。」と、いつもと変わらない穏やかな顔。そのときに改めて思いました。そう、Paolaさんはいつだって同じだった。私に対しては、いつもまるで自分の娘のように接してくれて、そこには表面的な作り笑いやお世辞も、いい人と思われたい見栄も、嫌味も、意地悪もなかった。そしてPaolaさんは、誰に対しても同じように接するのだろう。自分がいいと思う自分で。ただ、私の受け取り方がときにそれを歪めてしまっていたのだ、と。

イタリアを出る直前、私のリクエストで「トスカーナ料理教室」と題してお料理教室も開催してくれ、当初は費用は生徒である私と参加した友人たちもちということだったのに、「今日は私のご馳走よ」と言ってお金を受け取らなかったPaolaさん。年金生活で何かと大変、といつも言っていても、与えるときはいっさいの条件なしに与えてくれる人。そこには感謝してほしい、という恩着せがましさは微塵も感じられず、自分がしたいからしている好意というそれだけの姿勢。

私はヨーロッパでこのような与え方はをする多くの人に出会い、日本のようなお返しの文化もないので本当にもらいっぱなしです。彼らの与え方と比較すると、日本人が何かを与えるときというのはどうしても、しきたりや義理に当てはめてしまったり、そこに暗黙に期待されている「何か」を感じて気が重くなってしまったりなど、素直に受け取れない自分がいることにも気づいたりしました。また、自分が相手に何かをしてあげるときにも、彼・彼女たちのように、「100%自分がそうしたいからしている」と言える自分がいるかどうか?!など。いろいろと考えさせられました。

私と少し言い合いになったり、私の不機嫌な態度で雰囲気が良くない夜を過ごしたあとでも、朝は必ず決まって「ボンジョルノー、りえ!」と笑顔で挨拶してくれたPaolaさん。それから過去のことは「Passata(過ぎたこと)」として根に持たないあの切り替え方!ちなみにこの「Passata」という言葉、イタリア人は良く使います。過去のことよりもいま、目の前にあることを捕まえよう。今日1日を大切に生きよう。そんなイタリア人の価値観が伝わってくる言葉。

イタリア人女性Paolaさんとの生活は、私にたくさんのことを気づかせ、学ばせてくれた貴重な時間でした。またこのような学びは、いくつになっても、「いい歳して」も、これからも生きている限り続きます!なぜなら人間はいつだって学んで成長できるのだから。そこで止まってしまったらもう成長はないのだから。

Paolaさんとイタリアで出会ったすべての友人たち、そしてこれを読んでくださっている皆様に、メリークリスマス☆彡来年も素晴らしい出会いと学びに満ちた年となりますように。




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